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 About Ouro Preto

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 位置

ミナスジェライス州東南部に位置し、州都ベロオリゾンテ市より約100km。
標高約1100mの山間地にあり、ユネスコより世界の文化遺産に指定されている古都。
近くにはミナスジェライス州最古のマリアナ市がある。 他に南米第二といわれるアルミの工場ALCANも在る。
現在人口約6万人。


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 沿革

History

1694年 アントニオ・ジーアス(ANTONIO DIAS)の率いる探検隊員 ドュアルテ・ ロッペス(DUARTE LOPES)が、現在のオウロプレット市近郊を流れるトュリプイ(TURIPUI)川で黒い石を発見したのが始まりで、後にこれが良質の金である事がわかる。
オウロプレットとは"黒い金"の意味で、最初に発見されたこの金がこの地方で産出された多くの金がそうであるように、パラジウムと化合して黒色を呈している事による。

この地域には、金鉱山が多く18世紀初めより金の集積地として、大いに繁栄し、経済、文化の一大中心地となり、世界的に有名になった。
当時はヴィラ・リッカ(VILA RICA-豊かな村)と呼ばれていたことでもそれがわかるし、1700年のはじめの最盛期には年間4t~4.5tの金を、さらにその後30年くらいは年間1t~1.5tもの金をポルトガルに送っていた。
ちなみに1755年のリスボン大地震の復興はほとんどこの金でまかなわれたと言われている。
1897年にベロ・オリゾンテ(BELO HORIZONTE)に遷都されるまで、ミナス・ジェライス州の州都として地方行政の中心地でもあった。

市内には、大小合わせて23の教会があるが、これらは18世紀の繁栄の名残りである。
ポルトガル文化の影響を色濃く伝えながら、独自のバロック様式として発展し、アレイジャジンヨ(ALEIJADINHO)等の名工の手による教会や、彫刻が保存されている。
また古い教会ほど壁画や彫刻に、中国人がもたらした東洋文化の見られる事にも注目したい。

これらの文化遺産は世界的にも貴重なもので、1982年にはユネスコより世界重要文化財に指定され、街全体の保存が計られている。
このため市内の建物の新築、改築は法令によって制限されており、往時の景観を保つ為市内に近代的な建物の建築は禁止されており、電柱もなく、電線は地下に配線されている。

当時の教会建築の特徴として、ヨーロッパの影響を受けたバロック建築があげられるが、山間地の為建築材料の運搬が困難であった事から、近郊に産する石鹸石(PEDRA SABÃO)《やわらかく加工しやすい》と呼ばれる石材がふんだんに使用されており、後にミナスバロックと言われるブラジル独自のバロック建築として有名になる。
数ある教会の中でも特にノッサ・セニョウラ・デ・ピラー(NOSSA SENHORA DO PILAR)教会は、内装に金箔が多量に(約480kg)使われ、往時の繁栄ぶりを今日に伝えている。またサン・フランシスコ・デ・アシス教会は建築及び内外の彫刻一切を、ブラジルのミケランジェロとまでいわれたANTONIO FRANCISCO LISBOA(AREIJAJINHO)が担当しており、ポルトガル人建築家で彼の父MANOEL FRANCISCO LISBOAの作ったノッサ・セニョウラ・ド・カルモ(NOSSA SENHORA DO CARMO)教会にも勝るもので、ミナスのJOIA(宝石)ともいわれている。

オウロプレットはまた、独立運動の中心地であった事でも知られている。
これは18世紀後半、経済的中心地となったオウロプレットを中心に、ポルトガルの植民地経営に反発する運動が起こり、後のブラジル独立(1822年)の先駆けとなったもので、『ミナスの不忠義』(INCONFIDENCIA MINEIRA)と呼ばれている。そのリーダーと言われているJOAQUIN JOSE DA SILVA XAVIER(チラデンテス)は、今日に至るまで国民的英雄として有名であり、彼が処刑された4月21日(1792年)はチラデンテスの日として国の祝日となっている。  
チラデンテスは、故TANCREDO NEVES(タンクレード・ネーヴェス)大統領と同じミナス州サン・ジョアン・デル・ヘイ市近郊の生まれで、皇室直属の軍隊に所属し、歯科(チラデンテスと言われるあだ名の元)にも通じていたし、鉱物学にも熱心だったと言われる。
オウロプレット市内中央広場にその雄姿を残している。

市の前方にそびえる特徴のある山は、《イタコロミ山》と呼ばれ、オウロプレットの象徴である。
これはインジオ(ブラジル原住民)のトゥッピグアラニ語(TUPY GUARANY)でイッタ(石、岩)クルミン(子供)からなり大きな岩を母親に、小さな岩を子供に見立てて《母子岩》という意味で、18世紀の初めに最初に入った探検隊員の一人ドュアルテ・ロッペスの見つけた石が、金である事がわかって、探検隊が再度この地を訪れる時の唯一の目印となったもので、市から12kmの山岳地帯に在り、国定公園になっている。 標高1782m。

(この資料はオウロプレットのガイド 村瀬正子さんの了承を得て掲載しています)