オウロプレットだより50〜ブラジル独立のきっかけとなった革命家チラデンテスの話 

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現地情報

オウロプレットだより50〜ブラジル独立のきっかけとなった革命家チラデンテスの話
オウロプレットだより50〜ブラジル独立のきっかけとなった革命家チラデンテスの話

オウロプレットだよりも50回を数えるんですね。約一年前のブログ立ち上げからきょうに至るまでいろいろなことがありましたが、現地特派員のゆきさん、そしてオウロプレットの美味しいミナス料理レストランのヴァニージャさんやBom seraのヴァウターさんまで加わっていただき思わぬ展開です。一回一回の記事を大切にしながらこれからもこのブログを続けていきたいものです。以下、村瀬正子さんからのおたよりです。


 地球は今怒っているのでしょうか?
地震、噴火、豪雨、台風と日本の大震災のあとにも地球のあちこちで今までになかったような大きな災害がおきていますね。
天災には勝てない人間の小ささ、せめてこれ以上災害がおきないよう神に祈る毎日です。
日本の皆様、チームサハラ様お元気でしょうか? 
今回ホームページを開けたらヴァウターさんからの写真とあったので早速開けてみてビックリ。
サハラ先生の大きな写真や一年前の皆さんとの写真があってとても懐かしく思いました。 
ヴァウターさんは2〜3ヶ月前にチームサハラさんのブログをみつけたけれど、日本語で書いてあるのでGOOGLEの翻訳機能を使ってもうまくいかず、どうしてもサイトに入れずにいたところ「奇跡がおきました。」ある日、自分の店「Set Palavras」に日本人女性があらわれ、チームサハラのことを教えてくれました。それがゆきさんです。皆さん、オウロプレットと日本がつながたんですよ。そこで僕はどのようにしてオウロプレットを知ったのか、どの程度の頻度で日本人がオウロプレットに来ているのか色々な質問をしてみました。その回答がきましたので紹介します・・・・と書いていて日本から送られた写真やゆきさんが送った写真を紹介しています。 
 
ヴァウターさんが投稿した写真の最後にチラデンテスの銅像が大きく写っていますので、今日はその話をしましょう。
チラデンテスとは18世紀ポルトガルの支配下にあったブラジルを独立させるきっかけをつくった英雄です。 
ゴールドラッシュが終わり、まだ重税に苦しめられている住民達を救うため、オウロプレットで15人の革命家がたちあがりました。 
残念ながら密告されて全員捕らえられ、革命は成功しませんでしたが、3年間の投獄生活の中で考えたチラデンテスは自分を犠牲にしてリーダーとして自首し、他の14名の命を救いました。 
リーダーは他の人だったといわれていますが、チラデンテス一人が処刑され他の14名は救命されアフリカに追放されました。 
今では彼が革命家のリーダーとして(当時は反逆者といわれた)あちこちに銅像があり、町や広場にその名前が残されています。 
1792年4月21日に処刑され、今ではチラデンテスの日として国の祭日になっています。
彼が処刑されて30年後にブラジルはポルトガルから独立しましたので、彼等がそのきっかけを作ったといわれています。 
オウロプレットの中心の広場チラデンテス広場は小高い山の頂上になっていて、その広場の両側の斜面が片側をアント二オジーアス区、反対側をピラー区とに分かれています。広場の両端に州政庁の建物(鉱物博物館)と牢獄だった建物(歴史資料館)があり、その中心に立っているのがチラデンテスの銅像で1892年4月21日、100年祭の時に立てられたものです。  
わざと政府の建物に背を向けて牢獄の方を向いてたてられていて当時の人達の叛骨精神の現れだといわれています。
この写真は丁度後姿が写っていて奥に見えるのが牢獄だった建物でその場所がチラデンテスの首がさらされた場所といわれています。 
チラデンテス(歯を取る人という意味)とは彼のニックネームで本名はジョアキン・ジョゼ・ダシルバ・シャビエーといい両親を幼い頃に亡くした彼が里子に出されたところが歯医者さんだったのでその名がついたといわれていますが、悪い歯を抜くことは上手だったそうですが歯医者ではなかったようです。 
 
まだまだ彼について書くことはたくさんありますが、ここでは無理ですのでどうぞオウロプレットまで私の話を聞きに来て下さい。
写真を送るスペースが無くなってしまいましたのでこの次にします。



  • Posted by 2011年11月04日 (金) | コメントコメント(3

この記事へのコメント

村瀬さん、こんにちは。
本当に、地球上のいたるところで、自然災害が起きています。本当にこれ以上、災害が起きないことと、犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々が一日も早く元の生活に戻れますことを願って止みません。

さて、村瀬さん、今回はオウロプレットの象徴的存在である、チラデンテス広場の銅像の由来について教えていただきまして、ありがとうございました。
チラデンテスさんは、革命をもくろんだ15名のうちの一人で、自らが犠牲になって他の革命家の命を助けた方なのですね。自分を犠牲にしてまで他の人を助ける、その使命感、自己犠牲的な行いに大変感銘を受けました。銅像が建てられて、彼が今でもたたえられていることも納得でございます。お話の続きがもっとおありとのこと。オウロプレットで村瀬さんにご案内いただきながら、その続きをお聴きできる日が訪れますことを楽しみにいたしております。

Posted by muguet41533 | 2011年11月06日 10:35

村瀬さん
勉強になります。ありがとうございます。
他の仲間14人の命を救ったことなど、知らなかったことばかりです。当時は反逆者として処刑され、さぞ無念だったことでしょう・・・。この自由なブラジルの空気もチラデンチスさんのような革命家のおかげですね。それにしても「歯を取る人」というニックネームはおもしろいです。

Posted by yuki | 2011年11月07日 21:58

話のつずきではありませんが、ある時オウロプレットでタクシーに乗り運転手さんと話をしていたら、自分は密告者(ジョアキン・シウベーリョ・ドス・へイス)の末裔だといって、今では誰もなにごとも無かったみたいに平和に暮らしているよ、と話してくれました。
なるほど歴史は生きているんだ、嘘ではなかったんだ、と関心したことがあります。 おもしろいですよね。 まだ 義賊の話もありますし、有名な悲恋物語もあります。 それがオウロプレットです。 次の機会に紹介しますね。

Posted by 村瀬 | 2011年11月09日 04:47

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