オウロプレットだより29〜シコヘイの伝説 

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現地情報

オウロプレットだより29〜シコヘイの伝説
オウロプレットの現地日本人ガイドの村瀬正子さんからのたよりが届きましたので紹介いたします。
今回はシコヘイの伝説です。


日本はもう雨季に入ったのですね。
うっとうしい時期体調にお気をつけください。
今日はシコヘイの話をする約束でしたね。
オウロプレットにはもっと有名な革命家チラデンテスとかブラジルのミケランジェロといわれたアレイジャジンニョとか誰でも知っている歴史的人物はいますが、私はこのシコヘイの話が好きです。
シコヘイはアフリカのある部族の王様でしたが奴隷狩りに遭いブラジルに売られて来ました、食料の悪い船の長旅で妻や子どもを次々と亡くした彼は1人生き延びた息子と当時はヴィーラヒッカ(豊かな村という意味)と呼ばれていたオウロプレットまで一奴隷として連れてこられました。
悔しかった彼は一生懸命働き、自分の自由を買うことができ、余暇をも惜しんで働き息子も部族の人達も自由にしてあげました。それが後にまた王様と呼ばれる所以です。彼は後に枯渇したと思われていた金鉱を安く手に入れ奥に掘り進めると豊富な金鉱脈に当たり、それで黒人専用の(当時は黒人と白人の教会は別でした)教会を個人の力で建てたといわれています。その教会がいつも街から見えるサンタエフィジェ二ア教会です。
先月のクアレズメイラと一緒に山の上にある教会を紹介してあります。
またセマナサンタの写真のなかにも夜教会の階段で最後の晩餐を演じている青年達の写真がそれです。残念ながら書類は何ひとつ残っていませんが、代々口述で伝えられて来た話で黒人の王様として有名です。金鉱やホテルにもその名が残されています。

 

  
1 サンタエフィジェ二ア教会(左)
2 同 墓地 シコヘイの墓はありませんでした。(右)


  
3 教会への坂道にある給水所(左)
4 教会の横から中心街(右)




  • Posted by 2011年05月29日 (日) | コメントコメント(3

この記事へのコメント

村瀬さん、こんにちは。
この度は、シコヘイさんの伝説をご紹介くださいまして、ありがとうございました。
こんなに奇特な人がいらして、サンタエフィジェニア教会が建てられたとは。とても感動的なお話です。
青空に映える同教会のお写真も、同教会から臨む中心街のお写真もどれもとてもきれいで素敵です。
前回の「山の上からの展望」のお写真もそうですが、ふつうならば通り過ぎてしまいそうな所に村瀬さんが目をとめられましてシャッターを切ってくださるところがとても面白いです。
お写真を通して、オウロプレットの景色をたくさんお伝えいただいて、現地の様子がだんだんとわかるようになり嬉しく存じております。

Posted by muguet41533 | 2011年05月30日 21:13

muguetさん いつも写真をみてくださいますね、ありがとうございます。 いつか貴女とオウロプレットの街の中を散策してみたいです。 きっと普通のお客様とは違った観点でオウロプレットを見てくださるとおもいます。街全体が額の中の絵のようであり、テアトロの
舞台のようなところですからね。 ぜひ一度来てみてください、おまちしております。

Posted by 村瀬 | 2011年05月31日 04:06

村瀬さん、私もいつか村瀬さんとご一緒にオウロプレットの街の中をカメラを携えながら、散策してみたく存じます。街じゅうが絵葉書に収まるような素敵なオウロプレット、訪れてみたい憧れの街でございます。

Posted by muguet41533 | 2011年06月01日 07:05

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