オウロプレットだより65〜オウロプレットのロビンフッドのおはなし 

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オウロプレットだより65〜オウロプレットのロビンフッドのおはなし
チームサハラの皆さん、こんにちは。
もう日本は暑くなり始めたのですね。その分ブラジルは寒くなってきています。
オウロプレットではよく学会がありますが、今回その医学会にいらっしゃったお医者様のグループが、日本を出発される3日前にインターネットでチームサハラさんのブログを見つけて、私に案内を頼みたい旨チームサハラさんに連絡があり、チームサハラさんから私に連絡をしてくださって、先週末の金曜日、土曜日にご案内して来ました。 

チームサハラさんのブログを通じてお客様が来てくださったのはこれが初めての事で、先生が奇跡とおっしゃったようにまれなことですけれど、これからはこういうケースも出てくるのではないかと思いますと未来が別の方向から開けてくるような気がしてとても嬉しいです。
言葉では言い表せないくらい・・・・・ヤッター!!!!!!!!!!!!とガッツポーズでとびあがりたい気持ちです。これもブログをたちあげてくださったチームサハラさんのおかげです、本当にありがとうございました。とても良いお医者様たちで、とても喜んでくださり空港でお別れするときの握手に力の入っていたのが印象的でした。

さて今日はオウロプレットのロビンフッドと云われた義賊のお話をしましょう。
この人は「アントニオ・フランシスコ・アウヴィス」という人で、<ヴィーラ・サイア>と呼ばれて、政府の強制的な重税に反発してグループを率いてポルトガルに送る金を運ぶキャラバン隊を襲っては貧しい人達を助けていたといわれる人です。

実際にその人の家も残っていて壁にプレートがつけてあります。彼の家の前には、魔よけの為に作られた小さな祭壇が塀の上に作られてあり、政府に通じた友人がその中のマリア様の像を動かして、ヴィーラ・サイアにキャラバン隊が行った方角を教えていたと云われています。後に彼は捕えられ処刑されてしまいますが、妻と娘もひどい目に逢わされたということで一家の悲劇がいまも伝えられています。
後世になりその家族を悼んで近くにノッサ・セニョウラ・ダスドーレスというチャペルが建てられました。
彼の家は廃屋となっていますが、昔遊んでいた子供達が地下道を見つけ危険を感じた親が鶏をはなしてみたところ、どこにも出てこなかったし帰ってもこなかったといわれています。またある時壊れた壁の中から人骨が見つかったとも云われていますが、発見された時空気に触れたとたん崩れ落ちたということです。その家はすでに皆様ご存知のサンタ・エフィジェニア教会
(山の上にシコヘイが建てた教会)へ行く坂道の途中にあります。

  
(左)ヴィーラ・サイアの家
(右)
家の前にある方向を教えたオラトーリオ  
  
(左)彼が住民の為に作った給水所  
(右)家族を悼んで建てられたチャペル  
  
(左)ダスドーレス教会の祭壇  
(右)イタコロミ山とエスパットーデア  
青空に映える正義の石像




  • Posted by 2012年05月15日 (火) | コメントコメント(8

この記事へのコメント

村瀬さん、こんにちは。
日本からの医学会でのお客様のガイドが無事におわられたようで良かったですね。このブログがこうして遠く離れた村瀬さんに役立つことができとても嬉しく思います。また一つ村瀬さんとオウロプレットを中心とした輪が広がった感じがいたします。今回のオウロプレットのロビンフッドのお話もとても興味深く読ませていただきました。国が違っても似たような義賊話があるものなんですね。
日本では鼠小僧のお話と言ったところが思い浮かびます。鼠小僧は勘当されていて肉親とは縁が切れていたことや、奥さんやお妾さんにも捕縛直前に離縁状を渡していたため、天涯孤独の身として刑を受けたというあたりは少し違うようですが。まだまだいろいろな伝説的な話やおとぎ話のようなものがあるのでしょう。ぜひまたお聞かせ下さい。楽しみにしています。

Posted by teamsahara0823a | 2012年05月15日 12:44

こちらのブログのご縁でオウロプレットをご案内できたこと、素晴らしいですね!その村瀬さんとお客様に私が偶然お会いしてしまったのもまた奇跡・・・村瀬さんがお仕事中のときはお見かけしても声をかけないように決めているのですが、あまりにもバッタリだったので・・・お邪魔してしまいすみませんでした。あの日は天気もよく観光日和でよかったですね。
ロビンフッド、かっこいいです。オウロプレットにはいろんな英雄がいますね。

Posted by yuki | 2012年05月16日 01:38

夕べ 無事帰国された旨メールがはいりました。
実は今回のことは忙しくしている私がメールを見たのか心配さて下さった方がほかにもいるのです。
いつもHPをみてくださっている ゆきさんのお母様がゆきさんに、村瀬さん見ているかしらと心配してくださって、ゆきさんもTELしてくださいましたし・・・・
私は皆さんに守られていて幸せです。みなさんありがとう。
今度お客様がHPをみてくださった時、現地特派員の名前を見て アー あの人だと判っていい事だと思いますよ。

Posted by 村瀬 | 2012年05月16日 03:34

このブログを通じて、日本のお客様方をご案内なされましたとのこと、おめでとうございます。
村瀬さんの思わずガッツポーズをなさったお気持ちがとてもよくわかり私もとても嬉しく存じます。本当に良かったですわね。

さて、オウロプレットの義賊、ヴィーラ・サイアさんのお話、早速、拝見いたしました。
民衆の味方で、こんなに正義感の強い人がシコヘイさんの他にも実在したのですわね。オラトーリオも残っており、実話なのだとわかることができます。彼の家での様々な怪奇現象は少し怖いですが、村瀬さんにその場をガイドしていただきましたら、さぞスリルがございますことと存じます。「正義の石像」が存在し、今では彼がオウロプレットの英雄とたたえられているところが素晴らしいですわね。オウロプレットにある伝説にまつわる名所、旧跡にますます興味がわいてしまいますわ。これからのお話も楽しみにいたしております。

Posted by muguet 41533 | 2012年05月17日 08:06

muguet さん
正義の石像は ヴィラサイアの石像ではありません。
これは歴史博物館の建物の屋根のところに1角に一個ずつ、正義、勇気、強固、忠義を現す等身大の石像が4個あるのです。 この正義の像は正面むかって右にありカルモ教会からの帰りに、ちょうどこのように見えるもです。 よくこうして撮影されますが奥にある石像はあまりよく見えないので、あまり写真の対象にもならないみたいです。 トホホ!! 可愛そう
いつか私が一体ずつ撮影して紹介しますね。

Posted by 村瀬 | 2012年05月18日 04:45

村瀬さん、勘違いをしてしまいまして、ごめんなさい。
歴史博物館の屋根には、「正義」「勇気」「強固」「忠義」の意味を表す4つの石像があるのですね。機会がございましたら、すべて拝見してみたいものです。
「正義」の石像が手にしているものは…、左手に天秤、右手に剣でございますでしょうか。どんな意味が込められているのか、とても興味深く存じます。

Posted by muguet 41533 | 2012年05月18日 17:22

正義の像の左手は秤、正と悪を計る意味でよく裁判所のマークとして使われます。 歴史博物館はミナスの州都がベロオリゾンテに遷都されるまでは、一階が牢獄で二階が裁判所として建てられたものです。
右手のは剣で権力を現しています。

Posted by 村瀬 | 2012年05月19日 06:12

コメント、ご丁寧にありがとうございます!娘さんと一緒に写真を撮っていただいて、光栄でした。レポートもご覧になっていただいて、感謝しております!ご家族に、よろしくお伝えいただけませんか。

http://io2z.com/%E5%89%8D%E7%94%B0%E6%95%A6%E5%AD%90-%E7%94%BB%E5%83%8F-%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%B3%A5%E9%85%94

Posted by 前田敦子 佐藤健 | 2013年06月16日 09:32

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